2人に1人がなる病気に30代後半でなってしまった私のブログ

37歳結婚3年目でガンと診断されました。よく聞く病名なのによく知らない病気との付き合いや日々の思いをツラツラ書いています。

黒い汚い私

昨日、知り合い経由で、別の知り合いが先月出産したことを聞く。

この知り合い、私と同じ歳で交際から結婚まで時間がかかったこと、結婚した時期が結構似ていて、あるあるで盛り上がったりしていた。

 

ただ年齢的なこともあり、子どもの事はお互い無意識に触れないでいたように思う。

何となく、不妊で悩んでいてパートナーと不妊治療に取り組んでるんだろうなぁというのは、サプリ飲んだりしている姿や以前にちょっと不妊のこと相談した時に思った。

 

そんな彼女が出産したそうだ。

帝王切開で双子らしい。

しっかり不妊治療に取り組んで得た成果なんだろう。

 

一方私はどうだ。

やっと腹括って子ども作ろうと思ったとほぼ同時に卵巣摘出手術。

その後、ちゃんと不妊について対策しようと思ったと同時に卵巣がん抗がん剤

あと一年、はやく妊娠について対応してれば違った未来があったんじゃないか、と彼女のことを聞いて思ってしまった。

 

もちろんおめでとう!という気持ちはある。

それは100%の気持ちである。嘘はない。

ただ同じ分量と同じ質量で、

羨ましい、いいな、という気持ちがある。

 

そして、見ないようにしている

「私、もう子ども諦めなきゃいけないんですよね?」

ということ。

この事が彼女の嬉しい報せの後、私の中にこびりついて離れない。

主治医にしっかり聞いたわけじゃないし。

万が一今の治療をうまくいったら、とか考えてしまう。

いや、絶対無理だと思う。でも、最後通告されたわけじゃない。

聞いて、そうですって言われたら、本当それで終わり。

 

 

彼女にはしっかりおめでとうとLINEした。

でも薄暗い感情がある。

たらればなんて愚問だ。この件は全部自分の責任なのも十分理解している。

でも、まだ受け入れられない。

今日は少しグチグチして、

明日からまた気持ち新たにします。

 

主治医には、自分の覚悟が決まったら聞こう。

(できれば次の通院までに腹括りたい)

通院治療室での話

抗がん剤治療室の話。

主治医の診察のあと、通院治療室というところに行く。

抗がん剤専門の部屋。そこには受付の方と看護師さんがいる。

だいたい昼ごろにいくのだが、整理番号が40〜60番ぐらいがほとんど。

つまりそれくらい1日で受けているということ。

年齢も様々だけど、私は圧倒的に若い方。

私より若い方もいるけど、今(6月)分かるだけで3名ほど。本当に少ない。

男性も女性もいる。

 

3週休みの後、通院治療室にも慣れてきて、看護師さんともだいぶ顔見知りになってきた。

点滴交換中や点滴前、看護師さんに話を伺うと、朝からの人もいれば短い人もいる。

入院して集中的に打って、退院してーという人もいる。

そして「しぶまんさんは毎週だから大変だね」と言われ、毎週って少数派なんやなと思う。

 

そして、婦人科の先生は白血球や血小板数値ギリギリまで粘るんだよね

とか

しぶまんさんのアルコール量は最初、500ml缶程度、減らされてからは350ml缶程度。

350mlでフラフラだから相当弱いんだねえと言われる。

婦人科の先生は粘るから、体調悪かったり精神的にしんどかったら言って、休みにしてもらったほうがいいよ

ともいわれる。

科によって、同じような血液検査結果でも受けられたりお休みになったりするから

とも言われる。

 

そんなでいいのか?

抗がん剤打つか打たないかだよ。

 

癌サバイバーの方、経験者の方の話が本当に千差万別なのが

よく分かる。

副作用がまちまちなのもよく分かる。

患者そのものが違うのと同時に

その人が抗がん剤を受けるのかどうか、という判断も癌の場所や医師によって違っているんだから。

厳密にこうしなきゃ、ああしなきゃって考えない方がいいのかな。

もっとラフに自分の病気と付き合ってもいいのかな

 

と通院治療室で看護師さんと話しながら思った。

 

3週間のお休み

2月、だいぶこの生活に慣れる。

仕事をしない生活、副作用で体調が悪い生活、

便秘と下痢を繰り返す生活

脱毛が続く生活には、まだ慣れなかった。

鏡を見られない日が続いた。

ただ、毎日コロコロする生活には慣れた。

 

病気が日常になってる。

毎日大なり小なり副作用がある。

歩くだけで意気が上がるとか

くちびるがやたら荒れるとか

 

そして、考えてもしゃーないと思うようになる。

そして、ある意味達観する。

他人事というか、自分の体のことなのに、考えても何をしても良くも悪くもならない。

日々過ごすしかないと思う。

病人でもそうでなくても私だし。せめて、夫に美味しいものくらいだろうか。


そんな感じで抗がん剤7週目

白血球数値と血小板数値が悪くなる

ということでお休み。それが3週続く。

 

すると、すごく体が楽になる。精神的にも楽になる。

特に2週目。でもその分悪くならないのかなーと不安にもなる。

少しでも数値が良くなるように、治療再開できるように、散歩したり、免疫力あげるヤクルト飲んだり。

あんなにしんどかった副作用のある抗がん剤

このまま終われば良いけど、そんなことは土台無理で

やるならさっさと終わらせたい。やりたくない、でも終わらせたい。

そんな気持ちが積もっていった3週間だった。

 

そして再開の日、強めの吐き気止めを新たに処方される。

それを何故最初から出さない・・・

そして、この週から抗がん剤の量、濃度?が薄くなる。

そのためアルコールの量も減るとのこと。

酒に弱い私としては助かる。が、実際打つと

結局アルコールの影響をもろに食らい、フッラフラは変わらず

副作用も変わらず。

 

ただ、吐き気止めの効果は絶大で、しんどい日が半日ほど少なくなった。

 

3週、つまり2月はほぼ何もせずに過ぎていった。

 

親が来た話としんどかった時の話

1月中頃、実家から親が来る。

このコロナの中でありがたい。

親はとりあえず姿形が激変していない私をみて安心したようだ。よかった。

我が家に来た母親は久しぶりに色々できる!と張り切ってた。掃除、洗濯、ご飯の準備。

久しぶりに母親の料理を堪能した。

お陰様で、体重も戻った。

 

でも、抗がん剤の日から3日はぶっ倒れてるけど、その後3日間は割と元気なんだよね。

コロナじゃなきゃ、2人で出かけたりできたのにと思いながら、大相撲見てた。

 

で、親が来て思ったこと。

やれることは自分でやりたい。

 

癌にはなった。

でも、それが私の全てではない。やれることやりたいし、社会とも関わっていたい。

夫にご飯作ってあげたい。買い物も自分でできる。進行性の癌だけど

私のアイデンティティ=病人ではないのだ、と強く思った。

そう思うと同時に自分が癌患者だとも感じ

夜中、無性に悲しくなった。

何でこんな状況になったんだ!?と。

 

ちなみに、家庭に主婦は2人要らないという言葉どおり

親のいる間は何もしませんでしたー。

そんなこんなで14日間親は滞在。実家の大雪もおさまってきた頃、戻って行きました。

ありがとう、お母さん。

 

1月下旬、抗がん剤副作用が日に日に増していくのがわかる。

チャリ乗ってて坂道でブラックアウトする。

チャリは電動なのに、全く動かなくなる。
階段で、ものすごく息があがる。

脱毛のペースが早くなる。毎日コロコロして自分の髪の毛を処分する。

便秘に苦しむ。もともと便秘体質なのだが、お腹がはり、便秘薬無しでは出なくなる。

 

抗がん剤打って2日は何もできない。ただその日を寝て乗り切る。

病院からの帰宅のタクシー、会話もできない。

最初のころに比べて、副作用が激しくなっているように感じる、いや、なっている。

 

夜中、泣きたくなるってか、この頃はぼぼ毎日泣く。夫にバレないように。

何なんや、これ。できることが、何もない。

どんどん抗がん剤が体の中に溜まっていくのが分かる。

抗がん剤打ちたくない。でも打たないと治らない。

髪の毛が抜けて明らかに禿げているのが分かる。私の場合、カッパスタイルだった。

とにかく、辛い治療始まって1ヶ月。

まだ1か月か、と思うと本当に辛かった。

 

主治医は確実に腫瘍マーカーが下がっていると言うが、本人は副作用が辛いという症状しかなく、そのことを素直に喜べなかった(もちろん、今も実感はなく、あぁそうですかという感じなのだが)。

自分の中の折り合いが付けられず、辛い日々だった。

お腹空かんなぁ

下書き、色々かきためてます。

そして、治療の第一段階が終わりまして

毎週の抗がん剤がひとまず終了。

今後は3週に一度になる予定。

予定というのは、

造影剤入りCTをして、確認して、という過程が残っているから。

 

で、白血球値ギリで挑んだ抗がん剤以降、

体調悪い。

1キロの散歩もヘトヘト。

ゼーゼー。

 

でもって、ここ数日お腹がはる。

お腹空かん。お腹ははる。

便秘薬飲んで、頑張って腸動かしてます。

もともと便秘気味なのに、

抗がん剤副作用で更に便秘に拍車かかってるな。

 

お腹すいたわーって言いたい

 

今日このごろ。

 

 

はじめての「抗がん剤」

はぁー副作用シンド💦

今日からちょいちょい復調予定。

 

2020年12/28

初めて抗がん剤の日。9時前に病院に行き、血液と採尿。

婦人科の窓口で名前を伝え、しばらくすると看護師さんに呼ばれる。

副作用と今後の流れについて説明を受ける。

 

朝、検温と体重を測ってください。ここでも測れます。血圧と酸素飽和度も測って、血圧の紙に書いて、問診票と一緒に出してください。

その後呼ばれますが、血液検査の結果、最低1時間かかるので、その間に買い物行ったり用事済ませる人もいます。

 

(ほへー。意外と自由。)

 

診察を受けたら、通院治療室へ。待ち時間まちまちですが、30分から90分です。

50床ほどベッドがあって、それが二回転すら感じです。

 

(ふーん。てことは、1日100名、週500名以上抗がん剤治療受けているのか。。。本当たくさんの人がいるんだなぁ。。。)

 

服作用については主治医も言っていたと思いますが、まちまちです。

吐き気の辛さは皆さん言いますので、辛かったら遠慮なく言ってください。

脱毛も特に女性の方は精神的にくる方が多いです。最初のうちに切ってしまう方も多いですが、短すぎると、抜け落ちた時掃除とか大変ですので、ショートとベリーショートの間くらいですかね。

ケア帽子とかは下の売店で売ってますし、アドバイスしてくれる方もいるので、声かけてください。

抜け方は人それぞれですねー。でも抜けます。体毛も抜けます。抜けきるまでには2〜3ヶ月でしょうか。

 

(そうか、一気にズルっといくわけではないのね。)

 

体重の増減も人それぞれです。急な減少でなければ気にしなくてよいです。

食べ物についても本当に何でも食べて良いです。「コレ食べた方がいいとかありますか?」そういうものも無いです。

(無いのか、、あれば良かったなぁ)

 

子宮と片方の卵巣ありますよね?生理は止まります。今月、来月はあるかもですが、止まります。

(あぁ、そうか!そうだよな。先月ナプキン買ったばかりだよー💦)

 

抗がん剤にはアレルギー反応、アナフェラキシーを起こされる方もいます。

しぶまんさんもいくつかアレルギーお持ちなので、もし抗がん剤中息ぐるしくなったり、皮膚が赤くなったりかゆくなったりしたら言ってください。

「その場合はどうなるんですか?」

薬剤の量を変えたり、体に入れるスピードを緩めたりします。

あと、100人に3人くらいの確率で、抗がん剤後に内臓に穴が空くことがあります。これは激痛がはしるので分かると思います。

「その場合はどうなるんですか?」

人工肛門つけて治しつつ、薬剤の量減らしたら変えたります。

 

あ、あとしぶまんさんの抗がん剤にはアルコールが入ります(薬がアルコールじゃないと溶けないらしい)。お酒飲まれますか?

「飲むけど激弱です。缶ビール一本で満足です」

それなら、抗がん剤治療受ける前と受け始めで水分1リットルほど取ってください。アルコールをトイレで流すためです。

ほんとに弱い方、飲めない方は車椅子使って付き添いのかたと一緒に帰られます。

(1リットル?きっつ💦アナフェラキシーとか、、不安になってきた)

 

 

こんな説明を受けた。知らない事ばかりだった(後にコレでも知り得た情報半分未満だったとおもう)。

 

 

診察後、抗がん剤治療室へ。60分待ち。

薬局に行って処方箋出して、お昼買って食べて再度抗がん剤治療室へ。

そして、呼ばれる。

 

ドキドキして待ってると、看護師さんが来る。

しぶまんさんは今日が初めてなので、ゆっくり時間をかけて入れていきます。

と点滴が始まる。

水を頑張って飲む。飲む!!

眠気に襲われながら、水を飲む。

途中うつらうつらしていると、次のお薬にします、と看護師さんが薬を変えにきた。

体調いかがですか?

ちょっとぼーっとしてきました。トイレ行きます。

水分頑張ってとってください。

(治療室の看護師さんめちゃくちゃ優しい)

フラフラしながらトイレにいく。

 

通常よりも30分ほど長くかけて点滴を終える。

1時ごろからスタートして、4時半過ぎに終了。(通常なら3時間半程度)

やはりフラフラになりながら、通院室をでる。

二日酔いと酔っ払いの間に近い感覚。とにかくボーッとする。

会計を終えて、薬をもらって、病院を後に。

公共交通機関でなんとか帰宅。チャリ使うなというアドバイス素直に聞いてて良かった。

帰宅してもボーッとする。

このまま寝ようかと思いながら、とりあえず水飲んで夕飯の準備。

 

寝て起きて、あー、これが副作用。。。

とその自分の体調変化に驚く。

体が重い。動きたくない。気持ち悪いー😭何も食べたくない。口に入れたくない。。。

吐き気止め飲むために何とかゼリー飲む。

そして寝る。何とか動けるかな?となったので、夕飯の準備をする。

煮物は食べられた。薬も飲めた。

 

翌日、更にしんどい。ほんと何も受け付けなくなる。

何とか頑張って口に入れ、薬を飲む。

ほぼ食えず。

1日4回までというリミットに悩む。いつ飲むか、、、寝ている時に気持ち悪くて起きたく無いしなぁ、、、。6時間間隔か?と悩む。

 

翌々日

少しはマシになる。でもホンノ少し。

12/30でこれ。大晦日、年越し蕎麦食べたいなぁ。ちなみにこの時点で吐き気以外の副作用は無しかな?アナフェラキシーとか腹痛が出てこないので、ちょっと安心。

 

晦日

やはり倦怠感、吐き気はある。でも大分マシになる。うどん食べる。おいしいと感じた。これなら年越し蕎麦いけるかなと嬉しくなる。

義実家におせちのお裾分けをいただきに行く。体調どう?と心配される。いやー、これからですね、痛みはないのでそこは大丈夫ですと伝えると、「夫が『再発した』と言ってきた時、顔真っ白だったんだよー。でも、今日しぶまんちゃんの顔見て安心したわぁ」と言われる。

そうか、夫君、私の前では飄々としてるけど、動揺してたのね。心配してたのね。申し訳ない、でも嬉しかった。

帰宅しておせち作る。頑張りすぎたのか、ダルくなる。

紅白まで寝る。年越し蕎麦食べて、久しぶりに12時前に寝る。

 

元旦

6時ごろ起きる。だるいなーと思いながら、雑煮を作る。

体調復調気味。この日義実家に行く予定が義兄家族のお子さんが体調不良なので、中止に。

とりあえず夫とゴロゴロ過ごす。食欲、吐き気止め飲めば食べられる。

 

2日

初詣に行く。神社の階段の登りで息が切れる。いつもはこんなにゼーゼーしない。

これも副作用か。。。

吐き気止め飲めば食べられるようになる。元気になってきてるのを感じる。

 

3日

義実家にご飯どう?と呼ばれる。吐き気止め。必要ないかも。。。というくらいの復調ぷり。

基本元気。

義実家ご飯もしっかりいただける。良かった!

 

4日以降は吐き気止め不要!元気になってる。

そして次の抗がん剤までは元気なまま過ごせる。ただ、食欲は減少したなーと感じる。

そして2回目の抗がん剤7日を迎える。

 

 

 

 

 

抗がん剤治療を受けることになりました

2020年12月23日、大学病院に向かう。

この頃になると、痛み止めさえ飲めば何してても平気(何もしようがないと言った方が良い)な状態だったので、

ジャンジャン仕事してた。

 

職場には再発&怒涛の検査のことを伝え、治療方針が決まったら休職になるかもと伝えていた。

今まで病気で長期離脱したスタッフもおらず(妊娠出産はあった。でもある程度復帰時期が分かる)、仕事辞めることも考えていたが(夫は迷惑かかるだろうから辞めれば?と)、とりあえず仕事のこと考えなくて良いからと、復帰時期未定の休職扱いとなった。

それもあって、来れなくなるまで仕事します!と遅くまで仕事してた。

 

診察室で検査結果と今後の方針を改めて夫と聞く。

 

腫瘍マーカー:100以上まで上がっている。これを下げたい。

転移箇所:小腸全般、十二指腸、胃の一部、肝臓の一部

卵巣は肥大している。

(ペット検査の画像見せてもらったが、大小様々な白い丸が散らばってた。こいつが癌細胞ってやつか。)

 

抗がん剤決定までの経緯(カンファレンス内容)について

手術だと回復までの時間も早く、取り切れると再発リスクも少ないので、手術の方向で最初は話していた。

ただ、オペチームから転移箇所が多く、取りきれない可能性が高いこと、少なくとも小腸の転移箇所取ると小腸の機能を失う恐れがあると言われた。十二指腸についても臓器の裏にあるので切除が難しいと言われた。

また、コロナ禍でオペが減らされている。しぶまんさんの手術も行なうなら、早くても1月中旬から後半になるだろう。その間も進行し、転移箇所が広がる可能性がある。

これらの理由から抗がん剤の治療を1日も早く行なうことがベストではないか?となった。

 

抗がん剤と癌について

今は良い抗がん剤も多く出ている。私の癌(粘液性)は確かに効きづらい。でも、全く効かないわけではない。また、種類も多いので色々な組み合わせを行なうことで、ベストな抗がん剤を処方したいと考えている(CTで確認しつつ)。

 

開始時期と期間

開始は12/28、その後毎週一回通院してもらい(コロナ禍じゃなけりゃ、最初の抗がん剤は入院予定だったらしい💦コロナめ。)、抗がん剤点滴を受ける。

薬剤を一週目:3種、二週目:2種、三週目:2種で打つ。この3週間を1クールとして6クール行なう。

(薬剤については後日)

 

保険適用外の治療

やはり、抗がん剤効かないことも考えられる。

その際2つ検討したい。1つは保険適用外の抗がん剤の使用。もう一つは遺伝子検査を行なって、それに合う抗がん剤を使用すること。遺伝子検査に回す検体は摘出した卵巣で問題ないそう。

そしてこの遺伝子検査、アメリカで行われたらしい。このご時世、細胞たちは海外行けて良いなぁ。

この辺りは同意書が必要なので夫に渡す。

 

仕事について

とりあえず休職してくださいとのこと。半年は休職かなーと主治医。逆に半年で戻れるのか?と素直に思った。診断書を書いてもらう。

 

12/28について

当日は9時までに病院へ。血液検査、尿検査を受けてから婦人科へ。問診票を書いて(吐き気あるか?はい、いいえ的な)診察を受ける。

血液検査等問題がなければ、抗がん剤のオーダーを通院治療室に回す。そこから私の抗がん剤が作られて、準備ができたら点滴を受ける。

 

抗がん剤、全てセルフオーダーらしいです。

種類もそうだが、何より量が違うらしい。

 

抗がん剤、受けられないことも考えられる。特に白血球、血小板の数値の低下が著しい時(血液毒性というらしい)はお休みになる。

6クール行なうが、休みなく行なえる人はまずいない。しぶまんさんもどこかで一週、もしくは二週お休みになると思ってください。

と伝えられる。

 

言われたこと、質問したこと色々。

抗がん剤治療受けてても痛みがある場合は我慢せずに痛み止め飲んでください。

 

日常生活でなにかを我慢する必要はないです。 

食べてはいけないものもないです。だからと言って暴飲暴食はダメです。

 

ただ、風邪引かないでください&怪我もしないでください(血液毒性のため)。

 

動ける時は散歩などしてください。でも無理はしないでください。

 

副作用抑える薬も色々あります。特に吐き気止めは良いものあるので、辛くなったら言ってください。(抗がん剤治療で太る人もいるんですよ、と看護師さんに言われる)

 

副作用、色々ありますが出方は人それぞれです。脱毛は誰でもあります。だいたい2週間くらいでポロポロ落ちます。

あと必ずある副作用として、血液毒性のことを伝えられる。

 

副作用については28日に看護士からまた改めて伝えます。と抗がん剤治療を受けるみなさんへー的な冊子を渡されて、この日は終わった。

 

私の癌、治るのかな?ステージっていくつなんだろ。めちゃくちゃ考えたけど、考えたとて何も変わらないよなとも思い、診察室ではこのあたり一切聞かなかった。

 

病院を後にして、夫と職場に向かう。

今後について説明をする。とりあえず、治療方針決まって良かったねと言われる。仕事は27日まで。その後は休職になった。

 

帰りの車の中で、実家に電話する。

大丈夫だから!今元気だから!ちゃんと食べられてるから!痛み止め飲みながら仕事もしてるから!と言いながら、母親に病気の事を伝える。

父親にも言うから代わってと言うと「私から言うから大丈夫」と言われる。

 

が、自宅に着くと父親から電話。

母親が泣いてしまってよくわからないから連絡したとのこと。

申し訳ない。

状況を伝えて、抗がん剤がんばれ!と言ってもらい電話を切った。

 

 

初めて聞く事ばかりだった。

何となく知ってる内容(脱毛とか免疫下がるとか)もあったけど、知らない事の方が多かった。

そもそも癌に種類があって、

抗がん剤に効く効かないがあるって知らなかった。

遺伝子検査とかすごいなぁ、、、

副作用の内容も初めて聞くことばかりだった。

 

とりあえず私は何もできることはなく、

毎週病院に行くしかないんだな、と思った。