親が来た話としんどかった時の話
1月中頃、実家から親が来る。
このコロナの中でありがたい。
親はとりあえず姿形が激変していない私をみて安心したようだ。よかった。
我が家に来た母親は久しぶりに色々できる!と張り切ってた。掃除、洗濯、ご飯の準備。
久しぶりに母親の料理を堪能した。
お陰様で、体重も戻った。
でも、抗がん剤の日から3日はぶっ倒れてるけど、その後3日間は割と元気なんだよね。
コロナじゃなきゃ、2人で出かけたりできたのにと思いながら、大相撲見てた。
で、親が来て思ったこと。
やれることは自分でやりたい。
癌にはなった。
でも、それが私の全てではない。やれることやりたいし、社会とも関わっていたい。
夫にご飯作ってあげたい。買い物も自分でできる。進行性の癌だけど
私のアイデンティティ=病人ではないのだ、と強く思った。
そう思うと同時に自分が癌患者だとも感じ
夜中、無性に悲しくなった。
何でこんな状況になったんだ!?と。
ちなみに、家庭に主婦は2人要らないという言葉どおり
親のいる間は何もしませんでしたー。
そんなこんなで14日間親は滞在。実家の大雪もおさまってきた頃、戻って行きました。
ありがとう、お母さん。
1月下旬、抗がん剤副作用が日に日に増していくのがわかる。
チャリ乗ってて坂道でブラックアウトする。
チャリは電動なのに、全く動かなくなる。
階段で、ものすごく息があがる。
脱毛のペースが早くなる。毎日コロコロして自分の髪の毛を処分する。
便秘に苦しむ。もともと便秘体質なのだが、お腹がはり、便秘薬無しでは出なくなる。
抗がん剤打って2日は何もできない。ただその日を寝て乗り切る。
病院からの帰宅のタクシー、会話もできない。
最初のころに比べて、副作用が激しくなっているように感じる、いや、なっている。
夜中、泣きたくなるってか、この頃はぼぼ毎日泣く。夫にバレないように。
何なんや、これ。できることが、何もない。
どんどん抗がん剤が体の中に溜まっていくのが分かる。
抗がん剤打ちたくない。でも打たないと治らない。
髪の毛が抜けて明らかに禿げているのが分かる。私の場合、カッパスタイルだった。
とにかく、辛い治療始まって1ヶ月。
まだ1か月か、と思うと本当に辛かった。
主治医は確実に腫瘍マーカーが下がっていると言うが、本人は副作用が辛いという症状しかなく、そのことを素直に喜べなかった(もちろん、今も実感はなく、あぁそうですかという感じなのだが)。
自分の中の折り合いが付けられず、辛い日々だった。