2人に1人がなる病気に30代後半でなってしまった私のブログ

37歳結婚3年目でガンと診断されました。よく聞く病名なのによく知らない病気との付き合いや日々の思いをツラツラ書いています。

卵巣がん再発

前回のブログで書きましたが、

慢性盲腸疑いから、画像診断の結果、卵巣がんの再発と告知されました。

2020年12月10日のことです。

 

診察室に呼ばれ、主治医に

「その後痛みはどうですか?」と聞かれる

「痛い時とそうでない時があります。最近は右だけでなく、中央に痛みが移動している感じです。あと、心臓よりも下の部分も痛くなるときがあります。」

と正直に答える。

 

「画像診断の結果が出ました。胃腸科でみたときはわからなかったのですが、専門の放射線科に診てもらい」

と主治医は言いながら、紙に内臓(食道から胃腸等)や子宮卵巣の絵をサラサラと書いた。

さらに卵巣や胃腸にシャシャと斜線を引く。

そして続ける

「卵巣が肥大していて、(描いた絵を見せながら)このあたり(斜線)にいくつものシコリが確認できました」

え??となる。

「血液検査の腫瘍マーカー値も高くなってます。卵巣がんの再発と転移かと思われます。先ほど痛いとおっしゃっていた辺りも転移箇所と一致しています。」

え??え???となる。

 

正直、覚悟はしていた。

いや、覚悟まではしていなかったな。

嫌な予感はする、くらい。

 

主治医から、進行が早いです、と。

10月に腫瘍マーカーの値が7(通常4とか5、ちょっと高いけど再検査するほどじゃないらしい。次回検査で要判断らしい)だったのが、今80を超えている。

転移の範囲も簡易の画像診断で肝臓、小腸、十二指腸、胃のあたりにシコリがある。

卵巣の肥大も正常の倍ほどある。

これが2ヶ月経つか経たないかで起きている。

 

と言われた。

 

「しぶまんさんは、今不妊外来にいらしていますが」

と言われ、

そうだよ!不妊外来!!子ども!

と思い伏し目がちにしていた(転移疑い箇所が書かれた紙を見ていた)顔を主治医の方に向けた。

 

「今は、何よりも命を大切にしてください」

と言われた。

 

 

再発告知を受けた数分前の時よりも

絶望した。

今の私は

死ぬかもしれないのかということと

子どもは無理なのかということ

絶望しかなかった。

 

マスクがあってよかった。ここで泣かずに済んだから。

 

しっかりしなきゃ、となるべく平静を装い

主治医の話を聞く。

 

まず、癌の転移範囲を把握する。

その範囲次第で今後の治療方針が決まる。

私の癌は粘液性癌で、アメーバーみたいな粘液が癌化して、それがペタっと臓器にくっつくタイプらしい。それが今全身に飛び散ってるそうな。

臓器の中までは浸潤せず、

再発も本来なら低いらしい。

なので、できれば外科的手術で取り切ってしまうのがセオリーらしい。

 

ただ、範囲が広がっているので、

これから超音波検査を行ない、ある程度把握する。

更に、範囲を細やかに判断するために、造影剤のCTスキャンと、特殊な薬で体内の癌細胞を光らせるペット検査なるものを行なう。

最後に、内臓の中に癌が広がっていないか確認するために内視鏡検査を行なう。

 

と、怒涛の検査&検査スケジュール(これを10日くらいでやった)を言い渡される。

 

ちなみに内視鏡検査は、本当に痛かった。

半日かけて下剤を飲み(本来は病院、だけどコロナ禍なので自宅で)、全部出し切り、フラフラで病院に向かい、内視鏡を行なった。

先生が痛み止めの点滴打ってくれたけど、気休めにもならなかった。

ガンの痛みと内視鏡突っ込まれる痛みで、検査台の上で「ごめんなさい!じってとしていてー」と言われても、のけぞるくらい痛かった。

 

主治医から説明を受けた後、超音波検査を受けるため待合室で待っていると

どうしよう

どうしよう

と不安がどっと襲ってきた。

涙も出た。死ぬかもしれん。どうしよう。

 

すると、超音波検査に呼ばれた。

誰かといると良いカッコしいの私が出てきて

冷静でいられた。

超音波検査、1時間くらいかかり、仕事のことコロナのことなど話していると、

本当に「ちゃんとしなくては」と思えるようになっていた。

夫には今日言わなきゃだな。

親には、治療方針とかしっかり決まってからの方がいいな。

 

超音波検査が終わり、また診察室に呼ばれる。

さっき聞いた内容と同じだったが、

相当広範囲に転移が認められる。これが内臓内部までがどうかは内視鏡で、もう少し詳細な範囲(超音波で見られないところ)はペット検査でしっかり確認しましょう、とのこと。

 

主治医としては、外科的で取り切りたい。理由は、私の粘液性癌は抗がん剤が効きづらいタイプの癌だから。抗がん剤を使って効果がないと進行するだけになってしまうこともあるので、この種類の癌は取ってしまうのが本来はベスト。ただ、転移箇所で癌を取りきれないリスク、取れたとしても内臓の機能が失われるリスク(私の場合小腸への転移が広範囲)もある。検査結果をみて婦人科やオペチームと会議をして治療方針を決めたい

と伝えられ、

私としては、あぁ、そうですか、お任せしますと。

この日は痛み止めを処方されて終わった。

 

心身ともに疲れた。

帰宅して、

夫と電話で話をして

夕飯の準備をしていると、緊張の糸が切れたのかまた泣けてきた。

 

小さい子どもがいると分かっていたが、

耐えきれず中学からの親友にLINEをした。

 

ちょっといい?

寝かしつけ中だから、LINEならいいよ。

ごめん。ありがとう。ちょっとマズイことになった。

どうした?

卵巣がん再発してた。転移もしてるらしい。手術になるんか抗がん剤になるんかは検査次第でまだ分からんけど。ごめん、こんなLINEして。

そうか。

流石に凹んだ。

そうか。

夫くんの子ども、産みたかった。

うん。

ごめん。ちょっと1人じゃ耐えれんかった。1人だとずっと泣いてしまう。

ごめん、私もう泣いてる。

本当ごめん。泣かすつもりはなかったんだけど。

 

とりあえず、親友には今後のこと決まったらまた連絡する。年末年始お互い帰省は難しいよね的なこともやりとりしてこの日は終わった。

 

 

初体験のペット検査は注射して1時間ほど寝て、CT撮影みたいな機械の中入って終わった。これで癌細胞光るってすごいなぁ。

きっと体の中、蛍の里みたいになってるんだろうなぁとアホなこと考える余裕もこの頃は出てきた。

 

12月22日、大学病院から電話がかかってくる。抗がん剤治療で進めたいとのこと。

しかも年内に開始したい(え?22日ですけど。)

抗がん剤は効きづらいという話では?と聞くと、

100%効かないわけではない。やはり、内臓の機能が失われるリスク、取りきれないリスクが高い。

この辺りを明日改めて説明したい。本来伝えていた内容と異なるので、まずお電話したとのことだった。

そもそも付き添う予定だった夫にその旨伝え、23日改めて大学病院に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月(不妊外来開始)~12月初旬(大学病院再検査)

夫とのことを書こう。結婚して4年目。私が35歳の時に結婚した。

夫が7つ年上になる。

夫との出会いは私が24。その後交際スタート。よくある職場恋愛だった。

そう、交際10年目にしてやっと結婚した。

 

最初はお互い結婚願望もなく、私が自分のやりたいこと、実現したいことを優先してたから5年、6年と経っていった(復学したり、転職したり)。

で、交際7,8年目で夫が病気になった。難病指定されているものだった。

このとき、思った。

「彼に何かあったとき、私はちゃんと心配したい。年齢的には彼の方がリスク高いし。家族としてそばにいないと、何もできない」

実際、病気のこと説明受ける際、彼の母が『一緒に』と口添えしなければ同席できなかったわけで。

で、その後いろいろ考えに考えて、結婚の話をした。

 

あなたと一緒にいたいと思っている。何かあったときに、あなたの側にいたいから、その為には結婚しかないと思う。あなたはどうか?と。

で、結婚した。

私の両親も夫の両親も、やっとか・・よかった・・・という感じだった(笑)

 

 

勝手な事だが、夫に何かあったらのみで、自分に何かあったらって考えてないよね。

夫はとにかく笑顔が優しい人です。この人がニコニコしていたら、自分がイライラしているのアホらしくなります。

何よりも

こんな私と10年付き合ってくれて、今でも一緒にいてくれる。

私にとっては最高のパートナーやと思ってます。

(昨日ちょっと言い争いしたけど)

そんな夫、私の姪っ子や甥っ子にめちゃくちゃ好かれている。

私の職場の同僚の子にも。子ども引き付けるパワーが凄い。

 

お互い休みの日が違うすれ違い夫婦だったのだが、

年齢のこと、そして何より私の卵巣がん。再発リスク少なめとは言われているが、リスクはリスク。

そう考え、退院して職場復帰(GW明け)のタイミングで

【あなたの子どもが欲しい。あなたが父親になっているとこ、私は見たい】

と伝えた。

体外受精までは考えず、現状できることをやってみよう。

期限は私が40になるまでだろうかということになった。

 

 

これがなかなか上手くいかなかった。何よりも仕事によるすれ違い、私と向こうのテンションの違い(焦る私、そうでもない夫)。

本当世の不妊に悩みながらも乗り越えようとしているご夫婦、尊敬します。

 

それでも病院(最初は近所の婦人科、次に大学病院)に通いながら、排卵の有無、タイミングの測り方、初歩的なことからまず行なう。

 

もう少し不妊治療を専門的に診てくれる病院を紹介してもらい、予約をと思ったのが10月初旬。

この時卵巣がんの経過観察も受けていて、特に問題なし。

がん検診は次1月でということになった。

 

その10日後くらいからだろうか。

右下腹部に痛みを覚える。

チクチクするような痛み。不妊のこと、仕事のこと色々重なって忙しい時期だった。

いったいなぁ・・・あ、治ったを数日間繰り返していると

 

夜中に起きるほどの痛み。

息を吸うと何かがその痛みの塊のようなものに触れる、そんな感触。

朝「ダメだ。痛い。」と夫に伝える。

日曜日。しかも、夫の誕生日だった。

とりあえず、大学病院の救急に電話。婦人科の先生に診てもらえることとなった。

大学病院では血液検査と子宮、卵巣の確認。

血液検査では、炎症値が高い。ただ、一番疑わしき盲腸だともうちょっと炎症値が高くなる。そこまで高くない。

卵巣、子宮には特に異常はない。腸炎ではないか?ということで抗生物質を処方された。

 

実際、抗生物質服用後に痛みは治まり、あれは何だったんだ?という日々を過ごす。

 

11月になる。ますます忙しくなる仕事。

大学病院行ってから1か月後、また痛くなる。同じような痛みだけど、そこまで痛くない。

また腸炎?と思いながら、とりあえず近所の胃腸科に行く。

先月のことを伝え、とりあえず血液検査。触診だと、そこまで重大な何かが体の中で起きているとは考えづらい。とのこと。

翌週、血液検査の結果が出たので再度聞きに行くと、

やはり炎症値が高い。でも、盲腸ほどじゃない。とりあえず、抗生物質出します。ただ、これ以上のことはここでは分からない。

痛みがある、炎症があるということは、体の中で何かが起きていることは間違いない。

大学病院に行って検査してもらうことも考えた方が良いと思う。

と言われた。

 

正直、これ以上大学病院行きたくないし、面倒くさいし、

仕事それどころじゃないし、不妊の件進めたい。

ということで、とりあえず抗生物質のんで様子見ますと行ってその日は終わった。

 

当然夫は、病院行ってきなよ、と言う。

んーというと

癌なんじゃないの?と言う。

 

それはない。だって、摘出したほうが痛いんだよ。ここには何も無いんだよ。と答える。そう、全く再発は考えてなかった。

 

抗生物質の効果はテキメンで、痛みは和らいでいき、全く問題なく過ごしていた

のは

たった数週間。

また痛くなってきた。2か月、同じ個所がずっと痛いのはやっぱりおかしいだろうということで、

再度胃腸科に行き、紹介状を書いてもらった。婦人科でと言ったが、胃腸科で診てもらっているので、紹介先も胃腸科。

12月の2週目に診てもらうことになった。

 

2か月ぶりの大学病院。問診、触診、「簡易CT」を行なった。

当然、婦人科で診てもらっていること等は共有されているが、痛みの箇所から胃腸科で診ますねとのことだった。

CT画像の詳細は放射線科の先生が確認するが(なので、検査結果は後日)

その前に上がってきた画像を胃腸科の先生がまず確認。

この時思ったのは「これ、3月にみた景色(腹水からの卵巣嚢腫)と一緒じゃね・笑」まだ余裕だった

 

画像をカチカチしながら、

特にそれらしい所見は見当たらないなぁという先生。

何度か画像を往復していると

「あ、、これ、、」とほかの先生を呼ぶ。そして何やらやりとり。

そして、私に「もしかしたら、慢性盲腸かもしれません。ここ少し色が変わっていて炎症しているように見える。場所的に慢性盲腸かも。」と。

(ざっくりこんな説明だった)

まさかの盲腸!!??しかも慢性!!????

安静にしてくださいと言われた。仕事は当分休んでくれと。

いやいや、年末に向けて忙しいんですよ・・・・

 

4日後(金曜)、画像検査の詳細をお伝えするので、

4日後にまた来てくださいと言われる。

 

夫に結果を報告。とりあえずよかったねと言われる。

 

この時、言わなかったが、最近痛い箇所が増えている。

右下腹部と中央部分もたまに痛い。基本右だけど。

何となく自分の中の【予感】を見ないようにして職場に連絡。それならテレワークでできることをとなる。

 

水曜日、知らない番号から電話がかかってくる。

出ると大学病院の婦人科の担当医だった。

「検査結果が出た。明日来れるか?」と。明日は仕事が休みなので、むしろ明日だと助かると伝えると

 

「では、胃腸科ではなく婦人科に来てほしい」

 

 

これ、言われた瞬間、半分「何で?」半分「そうなの?」だった。

そうなの?の中身として、再発も考えたが新しい何か病気か?とも思った。

少なくとも慢性盲腸じゃないんでしょ?と

ただ、そんな事考えたくもなかったから、何で?って思った。

 

帰宅した夫に、検査結果出たから明日病院行ってくるとだけ伝えた。

親にはまだ何も言っていない。

 

翌日は

少なくとも、私が生きてきた人生の中で最悪の日だった。

本当に最悪の日だった。

担当から言われたことは

卵巣がんの再発です」

 

今でも、大学病院から家までどうやって帰宅したのか

覚えていない。

 

ちょっと書いてて思い出してきて感情の行き場がないので、

冷静になったら、このあたり書きます。

 

夫に電話した。声出して泣いたのは、初めてだった。

泣いて、伝えたこと

「ごめん。」

そして

「子どものことも諦めなきゃいけない。」

夫が

「いいよ。いいよ。しょうがないじゃん。」って

少し笑ったような声で言ってくれた。

 

 

 

 

 

できない、できないの話

6月8日。今日の出来事。


職場にボランティアに行った。これまでも何度か事務作業、軽作業で来ていた。

今日は今年初めて30℃。

暑いときの倉庫は暑い。今日も暑かった。

で、着いて早々宅配業者さんが荷物をおろしていた。

このままおろしておいてもなぁと思い、休職する前のように、送り状をはがし、荷物を移動して詰んでという作業をする。

すると、ビックリするくらい使い物にならない。

まず、荷物が全然持てない。

6キロ2回でへばる。足も上がらない。

息が絶え絶え。動悸が激しくなる。日常生活で物を運ぶのとはわけが違う。

こんなに体力って落ちるんだ。白血球と血小板ギリギリとは言われたけどさぁ。。。足もパンパン、全身に酸素がいってない感じ。

体力9割落ちますという癌サバイバーさんの話、自分の体使って実感した数十分だった。

だめだーー。


仕事というか社会とポジティブに関わるのはたのしい。

でも、できない自分に向き合うの辛い。

このままじゃ迷惑かかる。抗がん剤終われば体力戻るの?


半年でここまで人の体力を奪うのか、抗がん剤よ。

2020年4月2日の手術日から卵巣がん発覚まで

前の記事の生理。めちゃくちゃ軽い。痛み無し。量少ない。

とりあえず通院の時に医師に聞くことにした。

 

さて、件名の件。

そんなに大変な手術ではなく2時間程度とのこと。

 

手術の時間、予定より1時間ほど延びた。

理由は腫瘍が大きくて癒着もしていたからだそう。4センチほど切り、そこからググっと広げ、中の腫瘍の中身を吸引。

ある程度吸い取ったら引っ張って取る。

なんとなく素人でもイメージできる手術だったのだが、その中身が半端なかったらしい。

C T画像のものより大きくて重かったとのこと。その重さ11キロくらい。

よく抱えてたねと術後担当に言われる。

 

術前に、

一応腫瘍を病理検査に回します。万が一悪性ということも考えられますので。

なので、傷口の状態の確認も兼ねて、4月末に来てください

といわれる。

 

3週間近く待つのか、、と思いながらも納得。術後、発熱してしまった。仕事しなきゃと早々に復帰したのがダメだったなぁ。

このコロナ禍で、緊急事態宣言下で、、と

お腹切って臓器出すことの重大さ舐めてました。

 

さて、運命の日。

大学病院へ。

あまり待たされずに診察室に。

傷と摘出された卵巣の後を見てもらい、特に異常なし。発熱の件についても説明をし、とくに問題はないだろうと。

 

そこで、担当から伝えられる。

「しぶまんさん、病理検査の結果なんですが、、、悪性でした。癌でした。いやー、、、ホント手術前で見つけられなかったです。大きかったことと見つけづらい箇所だったこともあります。」

と告げられる。

 

ステージIaという初期ということ。

例え、先に悪性と分かっていても、大きさから言って摘出手術には変わりなかったと。

また、現時点で転移はなく、血液の腫瘍マーカーも平常値。

腫瘍マーカーでは悪性か良性かの判断はできないらしい)

そして、ガンの種類は粘液性ガン。

再発率は低く、3年で15%程度。

ただ、再発のリスクはあるので、今後経過観察する必要がある。

再発率が低いこと、コロナ禍で緊急以外の手術は難しいこと、なによりも体にさらにメスをいれ、問題のない臓器を取ることを考えると、

卵巣と子宮を再度摘出することは考えられない。

また、出産希望するなら尚更。ただ早めに。

ということを言われる。

 

マスク無かったら、、、

言われている最中、歯食いしばって、なるべく目は険しくないようにして

平静装ってたな。

 

卵巣がん専門の医師に担当変わるので、とりあえず待合室でと言われる。

そこでガンの詳細、そして今後の診察日とかを決めていくと。

待合室の椅子にドッと座ると涙がポロポロ落ちてきた。

不思議なくらいに自然に。

まず、夫に何て言おう。これがずっと頭の中をグルグルしてた。

ガンという病名の重さ、深刻さがズンとみぞおちあたりに響いていた。

親になんて言おう。次に思ったのがこれ。

親はたぶん泣くわ。

 

いや、でも待てよと

ちょっと落ち着いて考える。

今、がん細胞はない。平常値。経過観察してくれる。子どもも諦めなくていい。

命に別状があるわけじゃない。

とポジティブな材料を整理していく。

 

そんな中、担当医に呼ばれる。

言われた内容はほぼ言われたことだった。

とにかく、卵巣嚢腫で悪性は珍しく、その中でも粘液性ガンは珍しい方といわれた。

2〜3ヶ月に一度程度、診察に来てくださいとのこと。

とにかく一年はそのペースでと。

 

とりあえず夫に電話。仕事で出ず。

話したいことあるから折り返しお願いとLINEして、

親に電話。

とにかく大丈夫だから、経過観察してもらえるからと何度も言ったな。動揺はしてたけど、受け入れてたかな。

 

で、夫から連絡。

素直にガンだったらしいと伝える。

でも、転移とか無い、再発率も低いらしいと伝える。

あー、、あーーと聞いていたかな。

 

で、

親には言ったの?と。

言ったよ。

何だって?

とりあえず大丈夫だからを何度も言って伝えたよ、と。

大丈夫?

私は大丈夫だよ。仕事あんまり遅くならないでね。

と手短に電話を切る。

 

はぁーー。

私は卵巣癌か。

 

 

でも、再発率低いし。

全部摘出できてるし。

今は腫瘍マーカー平常値だし。

大丈夫大丈夫。

子ども、早くどうにかしないとなぁ、、、、、

 

あ、保険屋に電話しないと。がん保険おりるよね。

 

2020年4月末ではそんなこと考えてた。

動揺はしてたけど、ゆっくり立ち直っているのが分かった。

 

半年後再発するとは考えてなかったな。

本当、全く考えてなかった。

 

昨日のこと【突然のアレが】

本来なら、これまでの流れを書いて、
その後心情とか病気の内容とか、治療のこと
書き記す予定だったのですが、
昨日の夜予想だにしないことが。
6月6日、生理が突如始まる。

コレまでの経緯をざっくり言うと
2020年5月、病理検査で卵巣嚢腫が悪性(ステージI)とわかる
経過観察&不妊外来受診
2020年10月、右の下腹部痛みで救急。炎症数値が高い。とりあえず薬をもらう
痛み、治ったり治らなかったりで検査。
2020年12月、卵巣癌再発&各種臓器への転移。抗がん剤治療へ。

その後週一の抗がん剤治療を開始。
さまざまな副作用で辛いながらも、吐き気止めを強くしてもらったり、更年期抑える薬もらったりして、それが悉く効いて
まぁ、辛いながらも何とか何とかという日々。
(詳細は別に書きます)
で、ホルモンバランス崩れて、2月から生理が止まる。
止まるとは副作用で書いてあった。
ただ抗がん剤中に再開するかもはなかった。

先週の抗がん剤で白血球数値と血小板がギリギリだったから抗がん剤の量減らした。
そして、更年期抑えるために女性ホルモン分泌させるシールを数週間前から貼ってる。
このことからか?とも思うのだが、

いきなりなったから不安。なんでだ?
そもそも生理なのか?排卵してるの???
ネットで見ても専門的すぎてよく分からん。
悩んでも不安がってもしょうがないけど、何で??ってなってる。。。

癌と一言に言ってもなる箇所や進行度で治療法は千差万別だし、副作用も人それぞれって聞いていたけれど、
これは聞いてない。
今の自分にとって、生理がいいことなのかなんなのか、気に病むことじゃないのかどうかも分からない。
2人に1人って身近な病のはずなのに、
その状況に置かれた時の情報量があまりにも少なすぎる。
聞いてないって書いたけど、聞いていることの方が少ないんだよな。
そもそも何を知らないのかも分かってないのよ。
今の自分のことなのに。

とりあえず生理痛とかは来てない。
んー、、病院に電話して聞いてみるか、どうせ今週また抗がん剤だから、その時聞くか。。。

結局、悩む。

2020年4月1日までのこと その3

今日こそ4月1日まで書きます。

大学病院での検査が始まる。
さすが大学病院。大きい。はじめてのCT!こんなんだったんですよぉと職場に報告。

私は、とりあえず腹水&命に別状ないからと2人の医師に言われてるので「手術とかになるかもだけど、とりあえず大丈夫そう。痛いだけ」と方々に報告し、よかったねと皆さんに言われる。


MRIの日(婦人科検診の日)。腹痛に襲われる。イッテェなぁと。あと生理が始まらない。やっぱり精神的にきてるのかな?と。

MRIの技師さんから「動かないで」と言われるが、断続的な痛みがあること。一応さっき痛み止め飲んだけど耐えられない時来るかもと念のため伝える。
あの激痛&動かないでという圧。コレを耐えられた自分偉いぞ!と思った。


午後。婦人科。結構待って診察室へ。
中(って言っていいの?)見てもらいながら言われたこと2点。

「出血してるけど、何?」
「生理遅れてていつ始まってもおかしくないです」と答えるやいなや、
「あーー。。これ、卵巣嚢腫だね」

へ???
腹水と卵巣嚢腫なの?私!?二つ??
と咄嗟に思う(しばらくそう思ってた)。
とりあえず待合室待っててください。また呼びますーと看護師さんに言われ
若干パニックのまま待合室へ。


再度診察室へ。
「あなたは、卵巣嚢腫です。左の卵巣が肥大してますね。CTで見る限りかなりの大きさになってますけど、生理不順などありませんか?」
と聞かれ、その1とその2で書いたことをかいつまんで説明する。
「卵巣の顔つきが良いですし、そもそも卵巣嚢腫の大半が良性です。ここまで大きくなってしまっているので、手術で摘出が最善かと思います。左の卵巣と卵管ですね。」


え?手術!?ここで改めてアホみたいな質問をする
というか、やっと冷静に客観的になってきた
「胃腸科で腹水と言われたのですが、私は卵巣嚢腫なんですか?CTとMRIのものは卵巣なんですか?25日に胃腸科行くように予約入ってるんですが」
「そうですよ。今後はSさん(私)は婦人科で診ることになります。25日、、入ってますね。キャンセルしておきますね。」

MRIの画像を改めて見せてもらう。
そこで卵巣、子宮という婦人科の臓器は、こういう画像ではなかなか見えづらい、特にスタートはモヤモヤしていると言われる。確かにそうだった。
ただ、断面図のある部分からドンと綺麗な丸が。更に大きな丸が。またまた大きな丸が。
え?私の膨らんでるの全部卵巣なの?となる。

そして改めて医師から「ここまで大きくなるのは珍しいですね。私としては(良性だとは思うが、大きさも大きさなので)早く手術できるようにしたいと思っています。」ということと
「Sさんの今後はカンファレンスで決めます。今日の画像検査結果が25日に来る予定なので、26日婦人科来てください」と言われる。

え?25日にキャンセルだと思ったら26日なの?と
この頃になると
自分の病気が卵巣嚢腫だということ(病名が分かって安心した)
それが良性だろうということ(腫瘍の中でも色々あるのね。とりあえず卵巣嚢腫は良性確立高いということで安心した)
手術になるだろう(初手術だ)
と、この3点を自分の中で整理。
職場には直接、夫には電話で報告。

さてさて26日。
MRIの検査、放射線科からの報告を改めて受ける。
卵巣嚢腫で確定。ただ、見る限り悪性のようなもの(影とか禍々しさ)は散見されない。
婦人科の担当医からは悪性でも良性でも摘出手術に変わりない。
嚢腫が大きく、少し出血痕のような影が見えるからコレが痛みの原因だろう。ただ、本当にキレイなまん丸と言われる。


ここで初めて知るのだが、卵巣そのものが膵臓同様、痛みを感じずらい無言の臓器と言われているらしい。
ほへぇーと思いながら聞く。異国の地で痛み感じてよかったんだな、私。

さて、今後。出来るだけ早く手術をしたい。ただ、今コロナの状況で(大学病院で受け入れている)、手術日が確定できない。
(1回目の緊急事態宣言が出るとか出ないとかの時期です)
今日はどんな手術をするかの説明と、同意書等の説明を受ける。
 
手術かぁとなり、ここで初めて親に伝える。
当たり前だがめちゃくちゃ心配。とりあえず大丈夫だからーー、色々決まったら連絡しますと何とか安心?納得させて?電話きる。
夫には手術だわーと義両親にはどっちが伝える?と。私が伝え、色々ご迷惑をおかけしますと。
職場にもそれぞれのスタッフ(うちNPO法人格の小さな職場で正規スタッフ8人なんです)に直接伝える。皆さんビックリしつつも特に女性スタッフからは、治る病院で良かったねーと。
本当とにかくここ数ヶ月の不調が何か分かって安心した。

翌日。仕事関係の打ち合わせ兼ねて、昼食べてると、大学病院から電話。

「Sさん、急なんですけど、今日カンファレンスがあって、Sさんの手術4月2日にできそうです。今、緊急事態宣言がいつ出てもおかしくない状況で手術を3割減にしているんです。そこで緊急性の高い手術を優先して行なう方針なんですが、Sさんの手術、来月2日にねじ込めそうなんです。仕事あると思いますが、これを逃すと早くて5月連休明け。コロナのことあるからもっと延びる可能性もあります」

私との会話省くとこんな感じ。
急!??と思い、カレー食べてたスタッフに「いやーこんな事が。急すぎますよね」と伝えると

「2日に手術してもらいなさい!早く治るんでしょ?」と。
他のスタッフも異口同音で2日手術!何を迷う!?と。

やらなきゃいけない仕事。締め切り間際の仕事の算段を立てなきゃと思いながら大学病院に「職場の許可もとりました。2日に手術をお願いします」
手術前の最終診断として、もう一度病院に行かなきゃならなかったけど、これまでに比べれば待ち時間も短くサクサク終わる。

この時、子どものことを聞かれる。
今子どもがいないこと。だけど、年齢のこと考えると(夫は44歳)厳しいかもしれないけど、数年頑張ろうか?と話していると伝える。

担当医からは、片方摘出するけど、もう一個残ってる。子宮も問題ないので、術後にはなるが不妊外来もあるから相談してください。と言われる。

どうなる?と頭の片隅にあったことなので、こらも自分の中の安心材料になる。


4月1日、朝から入院準備→お昼前に入院。
夜は食事なし!しかも下剤で胃腸を空に。
下剤、辛かったわ。

昼のカレーを堪能する。
コロナなので面会NG。実家両親は付き添いたいと言っていたが、そもそも緊急事態宣言が出るのに関東に来るのはどう?&付き添い人数制限有とのことで、断念。
こんなこともバッタバタで決め、仕事の締め切り云々も何とかねじ込み(月末で良かった!)
手術日当日を迎えた。


そうです。
この時、誰も、わたしの卵巣以外、卵巣が悪性だと(担当医はその可能性を考えてないこともなかったとは思うが、極めて少ない可能性)
思ってなかったのです。

2020年4月1日までのことその2

前回何も具体的なこと書いてないので、今日から4月1日まで書きます。


最初に、今思えばおかしいなと思ったのは2019年6月から7月にかけてだった。

ちょうど月曜断食を職場のアルバイトさんとやってる時期で、ちょうど痩せなくなってきた。

んー、おかしい。食べてないのに💦と思いながらも体が慣れてきたのかな?と思ってた。

もう一個おかしいと思ったのが、生理不順と不正出血だった。基礎体温はかって体温普通なのに何かいつもと違う血が出てきたり、周期が40日になったり。

37歳だしそういうことある?仕事忙しいときこんなことあったよね?とりあえずダイエットやめようと自己判断&自己判断。

その後生理もまぁふつうに戻り、ダイエットも辞めたことで体重も少し戻った。

そしたら、下っ腹が出てきた。


おいおい。断食やめたらコレかよ。

私、顔から肉がつくのにぃ。歳かな、お腹からついてきたー。やだなぁ。

そんな9月、アルバイトさんが私に言った。

「もしかして、妊娠した?」

「いやいや、してないですよぉ。ちょっとダイエットやめたらお腹出てきて…」


この時、卵巣肥大が始まっていたと後日(といっても翌年3月)医者に言われるのだが、ズボンきつい以外何も変化無しなので、まぁ、ふつうに過ごすわな。


10月〜12月、仕事で会う方にも妊娠疑惑をかけられる。こりゃ本格的にダイエットしようと炭水化物抜いたり、お菓子控えたりする。

そうすると少し食欲が減ってきた。

ヨシヨシ、ダイエット効果だ。その割には体重そこまで減らないなぁという日々を過ごす。

そして、下っ腹の膨らみが大きくなってる気がする。何で?とネットでこの頃から調べ始める(もちろんソコにも卵巣ガン始め婦人科系の病気の疑いもあっけど、まさかと思い無視してた)

年末年始の飲み会時期、酒のまわりがいつもより早くなる。脂っこいものが食べられなくなる。食べても気持ち悪くなる。

これも病院の検査で後日分かるのだが、卵巣が大きくなりすぎて胃を圧迫してたそうな。こえーって。

歳かな?と思っていると会う人会う人に顔やせた?と言われる。やった!と馬鹿みたいに喜ぶ時期がこの頃。


2月末から3月。いよいよ日本にもコロナ患者が増えてきたという時期。仕事で海外出張に。幸い渡航先はまだ陽性者、感染者共におらず。日本も今ほどじゃない(確か東京で50いってないくらいだったはず)。気をつけて行ってこようと先輩と出張へ。

滞在4日目(10日滞在予定)でシリアから来た人が陽性者になり、そこからポツポツと増え、日本と違い開発途上国ということもあり、ロックダウンがあちこちで。スケジュールめっちゃくちゃ。どうするよ?としている最中、腹部に激痛。もうそれは経験したことのない痛み。

差し込むわけでもない、胃腸が痛い(下痢とかの痛み)わけでもない。胃腸の少し上、表層部からグッと押されるような、特に振動とかで痛むので、動きたくない。

先輩にお腹を見せると先輩絶句。これは帰国したら病院行きなさい。何で気づかなかったの?と。

相当お腹が出てたみたい。

本人は毎日毎日それをみてるから気づかないけど、いきなり見た人は引くくらい出てたらしい。

これも手術前の検査で分かるのだが、ザックリラグビーボールくらい、左の卵巣が肥大してたそうな。書いてて引くわ。


ただ、ずっと痛いわけでもなく、ふつうに動けているので(病気だってわかってないからね)、その後もなんとかスケジュールをこなし、痛みにもそこそこ耐え、日本へ帰国。

帰国後は歩くのもシンドイくらいの痛み。次の休みで病院だなと思っていた帰国3日後、職場で本当どうしようもない痛みに襲われ、近所の胃腸科内科に電話。発熱がない事を確認してもらい、飛び込みで受診。

お腹が痛いんです、とお腹を見せた瞬間

「これは、触診できないね。何でここまで我慢してたの?」

「あー、、先週まで全然痛くなかったので」

「これ、大学病院行かなきゃだめだよ。何かは分からないけど、触って何かあったら困るから。もしかしたら手術とか必要かもね。とりあえず、今週検査するのと大学病院の胃腸科に紹介状書いて出すから、行ってください」的な事言われた。


おいおい。大事になってきたぞ。。。


この時3月9日。3月10日に超音波検査とCT検査を受ける。そこで3月16日に大学病院の紹介状を書いてもらう。

職場にはかくかくしかじかでちょっとお休みをーと伝え(もちろん何も問題なくさっさと行けとの指示)半休、全休もらい、10日を迎えた。


10日。とりあえず凄くデッカい何かがお腹全体にある事が判明(この時は大きすぎるので卵巣とは分からず。そもそも胃腸科だし)。

ただきれいな縦長まんまるなので(本当に水風船みたいに綺麗だった)、すぐに死に至るような病気では無いと思う。痛み止めをもらい(ただこの頃から痛みが無く本人も大病じゃなさそうと少し安心していた)、そのことも職場に伝え、16日を迎えた。


16日。念のため夫にも来てもらう。仕事休んでもらって申し訳ないけど、彼も数年前難病で検査&入院経験あるので、心強かった。長い待ち時間の後呼ばれてCTと超音波画像を見た初見と今後の検査計画を伝えられる。

まず、形がきれいで大きくなったものの顔つきも悪くない(悪性のものは禍々しくなるそうだ)ので、すぐに命に関わるような悪い病気ではないだろう。たぶん腹水ではなかろうか。

ただ、どんな腹水なのか分からないので、造影剤を使ったCTとMRIの撮影を行なって詳しい検査をします。

あと、年齢も年齢なので(37歳)婦人科の検診も受けてください。面倒かもしれませんが、決まりなのでお願いします。と。

ぶっちゃけ、面倒だなぁたらい回しだなぁと思った。

CTは19日、MRIは23日午前、婦人科は23日午後、検査結果と治療方針を決めるので25日にまた胃腸科へと言われる。


今思えば、婦人科のルーティンがあって良かった。


運命の日が刻々と迫るのだが、本人は仕事に穴あけまくり&待ち時間の長さに辟易としていた。